皆さん、こんにちは。
本日は「俯瞰して観ることの大切さ」について書きたいと思います。
以前の記事で「ネガティブの気持ちやモヤモヤを晴れやかにする方法」という記事を書きました。
こちらの記事も合わせて読んでいただくと、本記事がさらに分かりやすくなります。
俯瞰して観るというと、抽象的で「どうゆうこと?」と思われる方もいるでしょう。
簡単に言うと、「視点を上げる」ということ。
つまり、自分視点で観るのではなく、視点を上げてものごとを観ていくということです。
俯瞰して観ることの具体的な方法
具体的な例を上げてみます。
自分は学歴もそんなに高くないし、大企業に勤めてるわけでもない。
視点を上げてものごとを観る
学歴が全てではないし、大企業に入ったからといって幸せになるわけでもない。
こんな感じで、いったん自分の思い込みや先入観の外に出ます。
「自分は~」と思っている自分を外から眺めるイメージです。
他人がする評価は全て主観がはいっている
生きていると、他人から言われたことを気にしてしまうものです。
ただ、ここで伝えたいことは他人がする評価は全て主観がはいっているということです。
ポイント
他人は、それぞれの主観でものごとを観ています。
つまり、真実ではないということです。
ここは言い切らせてもらいました。
そうでないと、簡単に自分という存在の価値を他人に委ねかねない。
結論は、「自分の価値は自分で決める」ことです。
自分の思考にも主観がはいっている
自己評価しようとする心の動きが、人であれば出てきます。
そんなときに、思考という主観から離れて視点を上げていくのです。
つまり俯瞰して観る。
ポイント
さきほど、自分の価値は自分で決めると言いましたが、ほんとうは自分で決める必要もありません。
それは、自分にも主観があるからです。
主観とは、自我であり思考であると言えるので、ここにも真実はありません。

俯瞰して観れれば自分も他人も大切にできる
俯瞰できるようになると、自分の主観でものごとを判断しなくなります。
他人が何かにつけて、誰かを評価していても、それを真実だと思わなくなります。
テレビなどがいい例ですね。
テレビに出ている、権威のある人のいう事が正しいと思ってしまう。
注意ポイント
テレビは、民意をコントロールするためにあります。
テレビを見ている人の意見は、ほとんどがテレビで言っていた意見です。
こういった大衆向けに作られたものから、抜け出す必要があります。
「だれそれが言っていた」と他人が言っていても、それも主観によるものだと気づけるようになります。
それに自分の周波数を合わす必要は全くないのです。